僕を「本当のお父さん」だと信じている子供が、今この瞬間も35人以上いる。
3歳の幼児から23歳の社会人まで。25の家族で、僕は「お父さん」として生きている。
この事実を初めて人に話すと、たいてい驚かれる。「そんなに多いんですか?」「どうやって管理しているんですか?」「混乱しませんか?」と。
でも、僕にとってはこれが日常だ。35人の子供たち。35通りの人生。35種類の「パパ」としての自分がいる。
最初の挑戦、そして失敗
ある日のことだ。シングルマザーをしている友人から相談を受けた。
「息子の私立幼稚園の受験に、父親として一緒に来てほしい」
当時、シングルマザーというだけで私立幼稚園の面接すら受けさせてもらえない現実があった。片親というだけで、子供にチャンスすら与えられない。その理不尽さに、僕は強い憤りを感じた。
友人の夫として、4歳の息子の父親として、一緒に受験に挑んだ。
結果は、失敗だった。
家族というものについて知識がなく、子供との信頼関係を十分に築くことができなかった。準備が足りなかった。悔しかった。
でも、この失敗が僕の原点になった。
片親というだけで受験すらさせてもらえない社会。核家族が当たり前のように存在しているのに、その形から外れただけで不利になる社会。「レンタル可能な家族」というサービスを作ることで、この社会の穴埋めができるのではないか。そう考えるようになった。

幼稚園の入園面接は、すべてのきっかけだった
なぜ35人なのか
「なぜそんなに多くの子供の父親を引き受けているのか?」
この質問に対する答えは、二つある。
一つ目は、単純に依頼が多いからだ。日本には、父親を必要としている家庭が想像以上に多い。離婚、死別、未婚の母、DV被害者、絶縁——理由は様々だが、「父親がいない」という状況は決して珍しくない。
日本の離婚率は約35%。3組に1組以上が離婚している計算だ。そして離婚後、親権の約85%は母親が持つ。つまり、父親と離れて暮らす子供が世の中には大量にいるということだ。
二つ目の答えは、僕が断れないからだ。
依頼の話を聞くと、どの家庭にも切実な事情がある。「息子の授業参観に父親がいないと、いじめられるかもしれない」「娘の結婚式で父親役がいないと、新郎側に申し訳ない」「子供が『パパはいつ帰ってくるの?』と毎日聞いてくる」
その話を聞いて、「すみません、いっぱいなので」と断れるだろうか。僕にはできなかった。
結果として、35人。これが多いのか少ないのか、僕には正直わからない。ただ、35人全員が僕を必要としている。それだけは確かだ。
日本の家族の現実
35人を覚えるということ
35人の子供の父親を演じるには、徹底した情報管理が欠かせない。
僕は全員の情報を細かくメモしている。名前、生年月日、学校名、クラス、担任の先生の名前、仲の良い友達、好きな食べ物、嫌いな科目、将来の夢、最近ハマっていること——「本当の父親」なら当然知っているはずのことを、僕も知っている必要がある。
でも、これは単なる「データ管理」ではない。
子供と接するたびに、その情報は更新される。「最近、サッカーを始めたんだ」「クラスに好きな子ができた」「将来は宇宙飛行士になりたい」——子供は日々成長する。その成長を、僕も追いかけなければならない。
35人の誕生日を、僕は全部覚えている。プレゼントも毎年考える。
「去年は恐竜の図鑑をあげたから、今年は恐竜のフィギュアにしよう」「最近プリキュアにハマってるって言ってたな」「もう大学生だから、現金の方が嬉しいかな」
一人ひとり、違う。一人ひとり、特別だ。35人を「管理」しているわけではない。35人と「関係」を築いているのだ。

35人全員の情報を細かく記録している
子供たちは何を信じているのか
35人の子供のうち、全員が僕を「本当の父親」だと信じているわけではない。
小さい子供——3歳から6歳くらい——は、疑問を持たない。「パパ」が来てくれる。それだけで嬉しい。なぜ一緒に住んでいないのか、なぜたまにしか来ないのか、深くは考えない。
小学生になると、少し違ってくる。「パパ、なんで一緒に住んでないの?」「パパの会社ってどこにあるの?」「パパのお父さんとお母さんは?」——質問が具体的になる。
僕と母親は、事前に「設定」を決めている。仕事の関係で単身赴任している。出張が多い。海外にいることもある。その設定に沿って、子供の質問に答える。
中学生以上になると、さらに難しい。思春期の子供は鋭い。「何か隠してない?」という直感が働く。
実際、僕が「本当の父親ではない」と気づいている子供もいると思う。でも、あえて追及しない。母親を困らせたくないから。あるいは、「父親がいる」という形を維持したいから。
子供は、大人が思うより多くのことを理解している。そして、多くのことを我慢している。
母親たちの決断
35人の子供の背後には、35人の母親がいる。
彼女たちは、どんな思いでレンタル父親を依頼したのか。
「本当は自分一人で育てたかった」——ほとんどの母親がそう言う。でも、現実は厳しい。
幼稚園の面接で「お父さんは?」と聞かれる。授業参観で「父親参観日」がある。運動会で「お父さんと一緒に」という競技がある。学校は、両親がいることを前提にしている。
シングルマザーの子供は、常に「説明」を求められる。「うちにはパパがいないから」と言わなければならない。その言葉を言うたびに、子供は少し傷つく。
母親たちは、その傷を防ぎたいと思っている。だから、レンタル父親を頼む。
「私のエゴかもしれない」と涙ぐむ母親もいた。「子供に嘘をつかせている」と罪悪感を抱える母親もいた。
僕は彼女たちに言う。「あなたは子供のためを思ってこの決断をした。それは素晴らしいことです」と。
「シングルマザーは、社会から責められることが多い。『なぜ離婚したの?』『なぜ一人で育てられないの?』——そんな声にさらされている。僕は責めない。ただ、一緒に子供を育てる仲間として、隣に立つ」
— 石井裕一
日本社会への問い
35人の子供の父親を演じながら、僕はいつも考える。なぜ、このサービスが必要なのか。
答えは明確だ。日本社会が「両親揃った家庭」を標準としているからだ。
学校行事、地域の集まり、親戚の付き合い——あらゆる場面で「お父さんとお母さん」が前提とされている。シングル家庭は「例外」として扱われる。
でも、本当にそれは「例外」なのか?
日本の離婚率は35%。未婚の母も増えている。死別もある。DVから逃げた母子もいる。「両親揃った家庭」は、もはや多数派ではないかもしれない。
にもかかわらず、社会の仕組みは変わらない。「普通の家族」という幻想にしがみついている。
35人の子供たちは、その幻想の犠牲者だ。父親がいないだけで、彼らは「普通じゃない」と見なされる。
僕のサービスは、その歪みを一時的に埋めるものに過ぎない。根本的な解決にはならない。
でも、社会が変わるまで、目の前の子供を見捨てるわけにはいかない。
35人への責任
35人の子供の父親であること。それは、35人に対する責任を負うことだ。
僕が急に「やめます」と言ったら、35人の子供の世界は崩れる。「パパがいなくなった」「パパに捨てられた」——そのトラウマを与えることになる。
だから、僕は簡単にはやめられない。
体調を崩しても、プライベートで辛いことがあっても、子供との約束は守る。運動会には行く。誕生日には会いに行く。「パパ」として、そこにいる。
この責任の重さを、僕は日々感じている。
でも、同時に思う。この責任は、本当の父親なら当たり前に負っているものだ。僕は「特別なこと」をしているわけではない。ただ、父親としての責任を果たしているだけだ。
血がつながっていなくても、契約で始まった関係でも、責任は同じだ。

35人への責任を、毎日背負っている
結び
「父親」とは何か。
血のつながりではない。一緒に住んでいることでもない。
子供のことを思い、子供の成長を願い、子供のために時間を使う。それが父親だ。
僕は35人の子供の「本当の父親」ではない。でも、35人の子供のことを本気で思っている。
それは、嘘ではない。
「血がつながっていなくても、愛情は生まれる。
— 石井裕一
それを僕は、この仕事で学んだ」