「お父さん、来てくれてありがとう」が聞こえなくなる日
2026年03月24日

体育館の折りたたみ椅子に座ると、背中にかすかな冷たさが残っていた。三月の体育館は、暖房が入っていても底冷えする。隣に座った母親——仮にユキさんとしよう——が小声で「緊張します」と言った。僕は笑って「僕もです」と返した。嘘じゃない。何度経験しても、卒業式には独特の緊張がある。
ユキさんの息子、タケル君の卒業式だった。小学校の卒業式。
僕がタケル君の「父親」になったのは、彼が小学四年生のときだ。ユキさんからの依頼はシンプルだった。「運動会と授業参観と、あと三者面談に来てくれるお父さんがほしい」。離婚後、元夫とは完全に連絡が途絶えていた。タケル君は学校で「お父さんは単身赴任」と説明していて、その設定に合わせてほしい、と。
最初の運動会のとき、タケル君は僕の顔をまっすぐ見なかった。目が合いそうになると、すっと視線を逸らす。それでいいと思った。僕は他人だ。いきなり懐かれるほうが、むしろ心配になる。
でも子供というのは不思議だ。二回目の運動会で、タケル君は僕に向かって手を振った。三回目の授業参観では、廊下で「お父さん、こっち」と腕を引っ張った。その手の力が、年を追うごとに強くなっていくのを、僕は覚えている。
そして卒業式の朝が来た。
体育館に「旅立ちの日に」が流れ始める。卒業生が一人ずつ名前を呼ばれ、壇上で卒業証書を受け取る。僕はビデオカメラを構えていた。ユキさんに頼まれていたからだ。ファインダー越しにタケル君の姿を追う。「おめでとう」と声をかけたいのに、ここで目立つわけにはいかない。僕はあくまで「単身赴任から戻ってきたお父さん」であり、周囲の保護者にとっては見慣れない顔だ。自然に、でも控えめに。そのバランスが、この仕事では常に求められる。
式が終わり、校庭で写真撮影の時間になった。桜はまだ咲いていなかった。でも三月の光は柔らかくて、子供たちの顔を明るく照らしていた。タケル君がユキさんと僕のところに駆けてきた。
「お父さん、一緒に撮ろう」
僕とユキさんの間にタケル君が立ち、他の保護者の方にシャッターを押してもらった。三人並んで笑った。その写真は、どこからどう見ても家族写真だった。
——これが、僕の仕事だ。
卒業式の代行依頼は、三月に集中する。当然だ。そして毎年、この時期になると僕は考え込む。
卒業式というのは、区切りの儀式だ。一つの時間が終わり、次の時間が始まる。子供にとってもそうだし、親にとってもそうだろう。では、「レンタルの父親」にとってはどうか。
正直に言えば、卒業式は僕にとっても区切りになることが多い。小学校の卒業を機に依頼が終わるケースがある。中学に上がれば、子供も成長する。「もう大丈夫です」とユキさんのように言ってくれる母親もいる。それは本来、喜ぶべきことだ。僕に依存しなくなったということだから。
でも、喜べない自分がいる。
タケル君の手の力を覚えている。授業参観で「お父さん、こっち」と引っ張られたあの感覚。運動会で転んで泣いたとき、僕のズボンの裾を握ったあの小さな手。そういう記憶が、三月になると全部戻ってくる。
僕はこれまで、二十三の家族で三十五人以上の子供の「父親」を務めてきた。その中で、卒業式に立ち会ったのは何度だろう。小学校、中学校、高校。それぞれの卒業式に、それぞれの子供がいて、それぞれの母親がいた。
ある高校の卒業式では、十年以上「父親」を続けた女の子——仮にミサキさん——が、式の後に僕に電話をかけてきた。「お父さん、卒業したよ」。その声は弾んでいた。僕は「おめでとう」と言った。それ以上の言葉が出なかった。十年だ。小学四年生だった女の子が、高校を卒業した。その十年間、僕は「お父さん」だった。でも、僕はお父さんじゃない。
この矛盾を、どう受け止めればいいのか。いまだにわからない。
よく聞かれることがある。「感情移入しすぎて辛くないですか」と。答えは、辛い。辛いに決まっている。でも、辛いから何だというのか。子供がそこにいて、「お父さん」を必要としている。その事実の前では、僕の辛さなんて小さなものだ。
もう一つ、よく聞かれることがある。「それは嘘じゃないですか」と。
嘘か。そうかもしれない。僕は本当の父親じゃない。血のつながりもない。戸籍上の関係もない。体育館で隣に座る権利も、本来は僕にはないのかもしれない。
でも、あの校庭で三人で撮った写真を見てほしい。タケル君の笑顔を見てほしい。あの笑顔は本物だ。ユキさんが目尻を押さえていたのも本物だ。そして——言っていいのかわからないけれど——僕の笑顔も、あの瞬間は本物だった。
感情が本物なら、それは本物だ。僕はそう信じている。信じていないと、この仕事は続けられない。
ただ、一つだけ忘れてはいけないことがある。
卒業式の夜、僕は一人で帰る。タケル君とユキさんは二人でお祝いのご飯を食べに行く。僕はそこにはいない。いてはいけない。「お父さん」の役割は体育館と校庭で終わっている。家族の食卓には、僕の席はない。
それでいいのだ。それが正しいのだ。
——と、頭ではわかっている。
三月の夜は、まだ寒い。コートの襟を立てて駅まで歩く。ポケットの中で携帯が震える。ユキさんからのメッセージだった。「今日は本当にありがとうございました。タケルがとても喜んでいました」。その下に、校庭で撮った写真が添付されていた。
三人で笑っている写真。
僕はそれを保存しなかった。保存してはいけないと思った。これはユキさんとタケル君の記憶であって、僕の記憶ではない。僕はその場にいただけだ。いや、「いたことにされた」だけだ。
でも、保存しなかった写真のことを、僕はたぶんずっと覚えている。
本当はこんなサービスはないほうがいい。すべての子供に、卒業式に来てくれる本当の父親がいればいい。でも現実はそうじゃない。現実がそうじゃない以上、僕は三月になればまたスーツを着て、折りたたみ椅子に座る。隣に座る母親に「緊張します」と言われたら、「僕もです」と返す。そしてビデオカメラを構えて、ファインダー越しに、自分の子供ではない子供の名前が呼ばれるのを待つ。
あなたに聞きたい。
卒業式に必要なのは、「本当の父親」だろうか。それとも、「そこにいてくれる誰か」だろうか。
僕にはまだ、その答えが出ていない。出ていないまま、また三月が来る。体育館は底冷えして、「旅立ちの日に」が流れて、子供たちの名前が一人ずつ呼ばれる。僕は拍手する。心の底から、拍手する。
その拍手だけは、誰にも嘘だと言わせない。